閑話休題

那須2遺体事件の実行役、「悪夢ちゃん」の若山耀人の陥った罪

世の中にはキラキラ・ネームというものがあります。勿論、名前を付けられる本人は赤ちゃんなのですから、すべては親の意思によるものです。一例としてみれば、今鹿(なうしか)、火星(まあず)、奇跡(だいや)、頼音(らいおん)、心愛(ここあ)、七音(どれみ)、希星(きらら)などがあります。今回の犯罪に関与したとして逮捕された若山輝人(きらと)さんも、まさにキラキラ・ネームそのものだったと言えるでしょう。それに、「悪夢ちゃん」で子役デビューした彼は、同級生の証言によれば、やはりキラキラした性格だったようです。そんな彼が、ここまで身をもち崩してしまったのは何故でしょうか。少年時代にキラキラした道を歩んできた彼にとって、成人してからの仕事のない生活は、精神的に苦しいものだったに違いありません。そのような時に、薬物乱用にはしる人もいれば、犯罪に向かう人もいます。子役のようなキラキラした経験がなくても、誰にでも人生の苦しさはあるはずです。しかし、芸能人として、容易に多額の金を稼げてしまったという経験は、彼の金銭感覚を麻痺させてしまったかもしれません。今回の事件の被害者となった夫婦と、彼とは面識がなかったようですから、単に金銭目的で殺人事件に手を染めてしまったと考えてもいいでしょう。愚かなことですし、とても残念なことです。すべてのキラキラ・ネームの人に、悲惨な運命が待ち受けているとは言えませんが、人生のキラキラのあとに罪の暗い闇が襲うことは十分に考えられます。ネーミングは、軽い気持ちでつけてはいけないと思います。旧約聖書を見ますと、イスラエルの始祖アブラムは99歳にして神の啓示を受けて、アブラハム(多くの国民のっ父という意味)に改名しています。新約聖書では、キリスト教徒の迫害者であったサウロ(ダビデが仕えた王と同じ名前)は、回心してパウロと改名しています。名は体をあらわす、と言われていますが、実体を表さない名前には危うい面がありますし、キラキラばかりした人生も脆いものではないでしょうか。改名したパウロは、人生や人々の性格を深く考えるようになってから、このように書いています。「皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がありる。口は、呪いと苦みで満ち、足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏ればない。」(ローマ信徒への手紙3章12節~18節)自分の過去の生活を自省したパウロの結論はこれでした。神への畏れを持たない人間は悪魔となりうる、ということです。「悪魔ちゃん」となってしまった、若山耀人被告が、これからの自由を奪われた人生の中で自省し、悔い改めることができるように祈りたいものです。パウロがそうであったように、神の絶対愛の中では、罪を悔い改めるセカンドチャンスが誰にでも備えられているからです。しかし、それを拒否する自由も人間には与えられています。

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