今週の説教

6月1日菊川ルーテル教会伝道説教

6月1日 菊川教会 主の昇天主日礼拝
福音書日課 ルカ24:44-53
説教題「約束の言葉と福音の言葉」
特別の祈り
全能の神様、あなたの御子イエス・キリストは、天にあげられ、御力によって私たちのとりなしをしてくださいました。それゆえに、私たちもまた、あなたのもとに招かれ、永遠の命の栄光を授かることができるようにお導き下さい。あなたと聖霊とともに、唯一の神であり、世々限りなくおおさめになるみ子、私たちの主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
讃美歌21
358番(1、2)、57番(1、4)、482番(1、4)、81番、88番

この日の日課には二種類ありますが。菊川教会の主任牧師である末竹先生がすでに選んでくださっていたので、昇天主日の日課にしました。 これは、実のところ、私にとって説教しにくい箇所だとこれまで思ってきました。イエス様が空に昇っている場面というのは有名な絵画にはありますが、説教には構成しにくいものです。なぜならば、イエス様の昇天が、わたしたちの人生にどのように影響するかがわかりにくいと感じていたからです。ところが、今回改めて、新約聖書の原典であるギリシア語の原文を詳しく調べてみると、大切な二つのことがわかりました。その、大切な二つのこととは、人間が生きていくうえで、知っておくと、とても助かる教えなのです。今日は、そのことを中心にしてお話ししたいと思います。
では、その一つ目とは何でしょうか。それは、聖書の大切な教えに関する用語です。一つは、エヴァンゲリオンでもう一つは、エパンゲリオンです。二つとも同じように聞こえませんか。なぜなら、ゲリオンという部分が一緒だからです。エヴァンゲリオンの方はゲームなどの用語になっていて知られていますが、もともとは福音という意味です。これは聖書にたくさん書かれていますが、有名なのはマルコ福音書の最初、1章1節に「神の子イエス・キリストの福音の初め」と書かれている部分です。この福音とは、良い知らせという意味です。ギリシア語のエヴァンゲリオンはエヴァンが良いという意味で、ゲリオンは告げられた言葉という意味です。一方、今日の日課のルカ24章49節の約束はエパンゲリオンという言葉で、エパはその通りになるという意味です。そして、ゲリオンは告げられた言葉という意味です。おそらく、この記事を書いたルカも、エヴァンゲリオンとエパンゲリオンが似た言葉であり、大切な教えであると知っていたでしょう。それは、今日の説教題にある「約束の言葉と福音の言葉」だからです。
福音というのは、わたしたちが努力して救われるのではなく、罪と死の支配から逃れられない私たちの救いのために、神の子イエス・キリストが罪の贖いの犠牲となって十字架上で死んでくださり、罪の赦しが実現したという意味です。この点は、パウロが、ローマ人への手紙で詳しく教えています。「ただイエス・キリストによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ3:24)と書かれています。特に、この「無償で義とされる」という部分が福音だと言われます。ルーテル教会の元祖、マルチン・ルターは修道士でしたが、若いころは福音を知りませんでした。だから、自分が断食や徹夜の祈りや、たくさんの修行をしなければ救われないと思っていたのです。しかし、彼が救われたのは、イエス・キリストを救い主と信じる者は無償で、あるいは無代価で、無条件に救われると信じたからです。そのことが、良い知らせであり、エヴァンゲリオンだったのです。
 ただ、ここに、問題があります。イエス様の弟子たちは、イエス様を救い主と信じて救われたのですが、まだ、迫害や人生の試練にたいしてはとっても弱い存在でした。現代のクリスチャンの中にも、弱い存在の人がたくさんいます。自分の不幸や、家族の不幸から、どうしても立ち直れない人もいるでしょう。それは、エヴァンゲリオンの福音は知っているけど、エパンゲリオンの約束を知らないからです。
エヴァンゲリオンの福音を、たとえて言うなら、何億円でも引き出すことができるキャッシュカードを無償で頂戴しているのと同じです。もし、わたしがそんなカードをみなさんにあげたら喜びますか。たぶんね。しかし、喜ぶのはちょっと早いんじゃないですか。暗証番号ですよ。そのカードの暗証番号を知らなければ、千円だって引き出すことはできませんし、カードは単なるプラスチックの板にすぎません。残念ながら、現代の弟子たちであるクリスチャンたちも、洗礼は受けています、カードは持っています、けれども、暗証番号を知らないから、プラスチックの板をもっているにすぎません。そんな人は、自分の問題を他人のせいにしやすいです。絶大な価値のある神の富を引き出すことができませんから、不満がたまりやすいのです。そして、貧しい、苦しい精神生活をおくるしかないのですよ。それは、エヴァンゲリオンの福音を知っていても、約束の実現であるエパンゲリオンという暗証番号を知らないからですね。そういうクリスチャンが大勢いますね。その責任は、エパンゲリオンをしっかり教えていない私たち牧師の責任です。
 その、約束のエパンゲリオンについて、詳しく書いてあるのが今日の日課です。ここからは、大切な部分ですから、礼拝中にウトウトしていた人も目を覚ましてしっかり聞いてください。暗証番号を間違って覚えないようにしてください。
ここでは、24章49節の「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」という部分が大切ですね。
ただ、この部分の新共同訳の翻訳は、ギリシア語原典の深遠な意味を十分に伝えきれていないと、わたしは思います。例えば、聖書学者でであって、昨年99歳で亡くなった蓮見和男先生の翻訳には違った表現になっていますね。「いと高きところからの力におおわれるまで」となっているわけです。じゃあ、一体、どこが違うのでしょうか。原典では天の力に覆われる、となっていて、これはハイアー・パワーという意味です。ハイアー・パワーという考え方はアルコール依存症の癒しのためのミーティングAA集会で昔から用いられてきました。その起源は、このルカ24章49節の言葉だったんですね。これが、約束であり、イエス様が昇天して神様にとりなして下さるパワーであり、暗証番号なのです。
洗礼を受けてクリスチャンになっていても、聖霊降臨の前の弟子たちのように、プレッシャーに負けたり、自分の弱さに負けたり、憎しみや怒り、自分の失敗を人のせいにしたり、人を羨んだり、悲しんだりする、そういう古い習慣というか、みじめな古い衣を誰でも身に着けています。わたしたちも、教会に来るときに、そんなボロボロの服をきているのですが、なにしろ他人には見えないし、自分でも自分の背中が見えないように、自分のみすぼらしさは見えないものなのです。要するに、服はボロボロ、ほとんど傷だらけの裸の状態で歩いているのですね。
その人に、あなたは今、満たされて生活していますかときくと、そこそこ満足していますと答えちゃいます。自分の姿を見てないのですね。でも、聖書にはこう書いてありますよ。「あなた方が自分が惨めなもの、哀れなもの、貧しい物、目の見えないもの、裸のものであることがわかっていない。」(ヨハネ黙示録3:17)「わかっていない」のです!もし、見すぼらしい自分の姿に気づいたら、きっと成長できると思います。そして、すでに私たちのその哀れな姿を知っている愛の神様は、とっても悲しく思い、わが子が痛めつけられているように感じ、胸が張り裂けるような思いで助けの手を差し伸べています。その助け主がイエス・キリストです。だから、イエス様は私たちに対する愛によって、天に昇り、聖書に預言され、神様から約束されている、聖霊というハイアー・パワーの着物で私たちを覆い、温めてほしいといお願いをしてくださったのです。これが、まさに昇天主日のコアな中心部分です。そして、これがまさに、聖書の預言の成就であり、エパンゲリオンであり、神の絶大な富と力へとアクセスする、暗証番号なのです。
だから、もう、貧しく、みすぼらしく、ボロボロである必要はないのです。暗証番号、神の約束を知り信じている者は、無敵です。だから、この約束を忘れないようにしたいです。聖書の歴史は長いものです。数千年にわたって書かれています。しかし、この長い歴史の中で一貫して預言されてきた約束が、イエス様が昇天して神様に嘆願してくださることによって、実現したのです。その具体的証拠が、来週の日課にある、聖霊降臨ですね。
さて、問題は現代の弟子たちであるわたしたちなんですよ。困ったことがあっても、まず自分の力で解決しようとしていませんか。これがボロボロの服に懸命になってアイロンをかけている姿なんですよ。それは速攻やめましょう。暗証番号を使って神様にお願いしましょう。まず、約束のハイアー・パワーを着せていただいて、安心して、問題解決にあたりましょう。今、神様に反応することが大切です。自分が決意することが大切です。他の人が自分の代わりに暗証番号を覚えてくれるわけではないです。そして、新しく生まれることが大切です。これがあれば、どんな迫害にも負けなくなった弟子たちと同じですよ。死の力、罪の力、病気や弱さや、過去の重荷や、これらから解放されます。ハイアー・パワーを着せていただけるからです。これが、自分を幸せにし、家族を幸せにし、友達を幸せにする、神様の約束にフォーカスした、幸せな生き方の秘訣です。アーメン

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